
日本初ラーメン説
日本で最初にラーメンを食べたのが水戸黄門で有名な「徳川光圀」)だったと言われている。 1665年(寛文5年)、(注:1669年との説もある。)中国から来た 儒学者である朱舜水が講師として水戸に招かれた際に振舞われた"汁そば"だと言われている。 麺はレンコンの澱粉から作られた"藕粉"を使用したもので、5辛 (山椒・ニンニク・黄ニラ・白カラシ・中国パセリ)を添えて食べたようです。 現在のラーメンと随分と味が違います。
ラーメンの名前と移り変わり
今から140年以上前の明治時代に広東人の食文化に影響されて横浜あたりから広がった、いわば日本のラーメンのルーツである。 明治時代末期から大正時代初期にかけて、日清戦争の影響で中国人が大量に日本にやってきた。 1871年(明治4年)の日清修好条約調印後がより顕著である。 特に広東省や福建省からの移住者が多く、それら 移住者相手に中華料理店が出来た。 そして横浜に支那町(中華街)が建設され、広東人が柳麺の店を開いたが、当初は塩味だった。 塩味の澄んだスープに麺、刻みネギが 入ったシンプルなものであった。支那そば以前はこの名で呼ばれていてその後、日本人に合わせ、醤油味にしたようです。
ラーメンが戦前に日本に広まり始めた頃、日本蕎麦と区別する意味で"支那"を付けて呼ばれていた。 そこで"南京そば"から"支那そば"へ呼び方が変わったと見られます。 曖昧だが最近の定義は、中華そばのもっとダシを取ってコクを出したもので、魚ダシや椎茸などを強く感じるものを指す事が多く、シンプルなものも多いです。 "支那"の 語源であるが、古来の時代から中国一帯の土地を指す名が "チーナ"であった。 国名は"元"、"清"、"明"など変化していったが、この名は変わらなかった。 その名がインドに 伝わり、漢訳仏典の形で逆輸入される時に"支那"となった。 英語の"china"も語源は一緒で"チーナ"は"磁器"を示す事となったようです。 戦後、"支那"という言葉を使うべきでない という事になり、代わりに"中華"そばと呼ぶようになった。 曖昧だが最近の定義は、トリガラとトンコツのしょうゆ味で、黒~茶色。若干細麺、スープはコクを重視するよりも、 さっぱりすっきりと食べるものでシンプルなものも多いです。 戦後の中華そばの呼び名で全国津々浦々に普及し、浅草の来々軒が使ったのが最初といわれるラーメンという名称が全国に広まり、インスタントラーメンが誕生、浸透するに 至って国民食の位置を不動のものとした。麺やスープ、トッピングの多様化が進む現在のラーメン。味も名前も、時代とともに刻々と変化している。 今後も消費者の味覚の多様化、ラーメンの作り手たちのあくなき好奇心とこだわりとを背景に、ラーメンの進歩はさらに続きます。